東京街歩きコース内容

東京街歩き 119散歩コース&マップの詳細内容

A-3-03 外堀を辿る-1 浅草見附から四谷見附へ

天下普請による江戸城の整備により日比谷入江埋立と並行して外堀が開削され、内堀や江戸湾ともつながっていました。戦後の瓦礫処理のために埋め立てられ、水路としての外堀は消滅して外堀通りとなりました。

見附は江戸城に置かれた見張り番所で、外堀に架けられた橋と一体的に設置されました。江戸城には36の見附があったといわれ、現在も赤坂見附など地名として残っています。江戸城の外堀の門は明治時代に全て撤去されています。このコースでは「の」の字を描く外堀の書き順から逆に浅草見附から四谷見附までの半周をひたすら歩きます。

主な史跡抜粋

旧跡 両国広小路
明暦の大火後に火除地として両国橋の両岸に作られ、見せ物小屋が並び江戸一の繁華街でした。対岸にも両国広小路の碑があります。
両国橋
1657年の明暦の大火の犠牲を契機に架けられました。現在の橋は1932年(昭和7年)竣工。ガードレール部分や柱部の装飾が凝ったつくりになっています。

浅草見附
ここまでが江戸城です。碑があるのみです。明暦の大火では囚人の逃走をふせぐために門を閉め切ってしまったことが犠牲を拡大させたといいます。

郡代屋敷跡
幕府の直轄地(天領)の年貢の徴収、領民紛争の処理などを管理した関東郡代の役宅があった跡です。

レトロ建築 海老原商店
震災復興期を象徴するような看板建築で、古着を扱う老舗でした。奇跡的に空襲での焼失を免れた地域です。

万世橋
1676年(延宝4年)の筋違見附門に付随する神田川に架けられた筋違橋がルーツ。現在の橋は1930年(昭和5年)アーチ橋に架け替えられました。
旧万世橋駅
今で言う中央線に1912年(明治45)に開業した駅。東京駅と同じ辰野金吾の設計。 東京駅などができターミナル駅としての地位を失い廃駅になりました。マーチエキュート内にジオラマがあり必見です。

筋違見附
加賀藩主前田利常によって寛永16年に完成しました。筋違とは中山道と上野寛永寺へ向かう御成街道が交差することから付けらました。説明板のみあります。

湯島聖堂 孔子像
1690年(元禄3年)5代将軍綱吉により建てられた孔子廟であり、後に幕府直轄の学問所となりました。昌平とは孔子が生まれた村の名前です。孔子像は世界で一番高い孔子像といわれています。
昌平坂学問所跡
幕府は朱子学を奨励し林家私塾の学問所を幕府の直轄として1790年(寛政2年)に設立しました。この学問所の存在が大学が集まる神田の発展につながりました。

聖橋
御茶ノ水駅の上で神田川をまたぐ聖橋は、湯島聖堂とニコライ堂を結ぶ橋であることからその名がつけられました。神田川拡幅の大工事跡が確認できます。

御茶ノ水記念碑
鷹狩りで2代将軍秀忠がこの近くの高林寺境内の名水で茶を点て、気に入ったことから地名となりました。

神田上水懸樋跡
江戸時代に神田上水が神田川を跨ぐ地点に設置されていた懸樋。木樋や石樋が主に使われました。水道橋と水道橋駅の由来になりました。

小石川見附
水戸藩徳川家は、明暦の大火後に小石川 後楽園に屋敷を移されこの門を守りました。遺構も説明板も無いようです。

牛込見附
外濠に面した見附のなかでも、江戸の遺構がもっともよく残ります。1639年(寛永16)、徳島藩によって築かれました。田安門を起点とする上州道の要衝でした。

市ヶ谷御門橋台の石垣石の碑
市ヶ谷見附跡
市ヶ谷御門橋台に築かれていた石垣の一部が残っています。御手伝普請で石垣を築いた大名家や職人の印と考えられる刻印が刻まれています。

江戸歴史散歩コーナー
東京メトロ南北線のコンコース内に石垣などの展示コーナーがあります。遺構ではありませんが一見の価値ありです。地下鉄建設工事の際に江戸城外濠の石垣の石材が発掘され、それを使って復元した石垣が展示してあります。

四谷見附
1636年(寛永13)、長州藩によって築かれました。半蔵門から甲州街道に至る将軍の脱出ルートとして想定されていた要衝に築かれた枡形門です。

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CATEGORIES

A:江戸と呼ばれた東京

コース経路

Start JR馬喰町駅C2→→End JR四谷駅麹町口

ウォーキング距離と歩数

13km 20000歩