東京街歩きコース内容

東京街歩き 119散歩コース&マップの詳細内容

A-3-02 江戸城を極める-2 北の丸から桜田門へ

このコースは北の丸へ通じる清水門からスタートして、田安門を通り、さらに千鳥ヶ淵を経て桜田門までを歩きます。

北の丸は江戸時代中期には御三卿のうち、田安徳川家・清水徳川家の屋敷に利用されていました。明治以降、国有地となり近衛師団司令部、近衛歩兵連隊の一大駐屯地となりました。戦後は武道館など種々の施設ができて、公園として整備されました。

因みに江戸城の門のうち清水門、田安門、外桜田門が当時の原形を保ち、国の重要文化財に指定されています。

このコースは、ブログ「江戸城を極める 清水門から北の丸、田安門へ」、「江戸城を極める 千鳥ヶ淵から半蔵門へ」、「江戸城を極める 三宅坂から外桜田門へ」に実際の街歩きレポートがありますので、是非参照してください。リンクをクリックすると別ウインドーで開きます。

主な史跡抜粋

清水門
推定では1607年(慶長12年)の建立とされ、国の重要文化財です。北の丸への出入口として利用されました。

北の丸公園
北の丸は江戸中期は田安、清水徳川家が上屋敷を構え、明治からは近衛師団司令部、兵営地が設置されました。
吉田茂像
1981年(昭和56年)に生誕100年に際し閣議の了解を得て建立されました。
北白川宮能久親王銅像
明治天皇の義理の叔父。戊辰戦争では幕府側について新政府軍と戦いました。1895年(明治28年)には近衛師団長として台湾に出征、現地で死去しました。
旧近衛師団司令部庁舎
1910年(明治43)に竣工。震災や空襲に耐えた数少ない明治洋風建築です。当時、近衛兵になることは大変な名誉でした。
近衛歩兵第二聯隊記念碑
近衛歩兵第一聯隊記念碑
平時は天皇や宮城の警護に当たり、戦時には戦闘に参加。帝国陸軍では初めて軍旗が近歩1及び近歩2に与えられました。

田安門
彌生慰霊堂
田安門は1636年(寛永13年)に建立。弥生慰霊堂は警視庁及び東京消防庁の殉職者を祀っています。

高燈篭 (常燈明台)
靖国神社正面の常夜灯として1871年(明治4年)に建設されました。当時、品川沖の船にとっては灯台の役目も果たしてい ました。
品川弥二郎 像
元長州藩士。高杉晋作らと英国公使館焼き討ちなどを実行し薩長同盟の成立に尽力。維新後は欧州へ留学し明治政府の内務大臣などに就任しました。
大山巌 像
元薩摩藩士。戊辰戦争では各地を転戦、維新後は欧州へ留学しました。西南戦争をはじめ士族反乱を鎮圧し、陸軍大将、内大臣などを歴任しました。

千鳥ケ淵戦没者墓苑
日中戦争、太平洋戦争で死亡した身元不 明や引取り手のない遺骨を安置、無名戦没者の墓とも呼ばれます。宗教宗派に属さない施設です。

高射砲陣地跡
戦争末期に皇居を防衛するために築かれた高射砲の砲台座7基が現存しています。

半蔵門
空襲で旧来の門は焼失し、現在の門は和田倉門の高麗門を移築したものです。隠居した先代将軍や将軍継嗣などの住居とされた吹上御庭に通じていました。

三宅坂
田原藩三宅家の上屋敷がありました。三宅坂は皇居内堀に沿って続く緩やかな坂道で、江戸時代から景勝地として知られていました。

国会前庭
この地の由来碑
熊本藩主加藤清正、次いで彦根藩井伊氏の上屋敷がありました。明治になって参謀本部・陸軍省が置かれました。
彦根藩井伊家上屋敷跡(前 加藤清正邸)
幕末の桜田門外の変の際には井伊直弼の駕籠が出発したのもこの上屋敷からです。
日本水準原点
全国の測量を進めた参謀本部陸地測量部(国土地理院の前身)がこの地に置かれていた痕跡です。標庫は明治期の数少ない近代洋風建築として貴重です。
憲政記念館 三権分立の時計塔
憲政記念館は1960年、尾崎行雄の業績を称えて整備され、三権分立を象徴する時計塔が建てられています。

桜田門(外桜田門)
外側の高麗門と内側の渡櫓門の二重構造になっており桝形を構成しています。水戸藩浪士らによる大老井伊直弼の暗殺事件(桜田門外の変)が有名です。

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CATEGORIES

A:江戸と呼ばれた東京

コース経路

Start東西線竹橋駅2→→End有楽町線桜田門駅

ウォーキング距離と歩数

12km 18500歩