東京街歩きコース内容

東京街歩き 119散歩コース&マップの詳細内容

A-3-01 江戸城を極める-1 本丸から桜田門へ

江戸城は1457年に麹町台地の東端に太田道灌が築いた平山城でした。1590年に徳川家康が江戸城に入城し、さらに江戸幕府が開幕すると諸大名に命じて日比谷入江の埋立、神田川拡幅工事など大規模な拡張工事が行われました。

1657年(明暦3年)の明暦の大火により天守などを焼失しましたが、町の復興を優先し天守は再建されませんでした。江戸城には推定では5000人の男性が常駐し、さらに大奥には1000人の婦女子がいたとされています。

このコースは江戸城の中心である本丸~三の丸 (現在の皇居東御苑)と、内堀に沿って皇居外苑、桜田門までを歩きます。

このコースの一部は、ブログ「江戸城を極める 本丸〜三の丸」「江戸城を極める 和田倉門〜外桜田門」に実際の街歩きレポートがありますので、是非参照してください。リンクをクリックすると別ウインドーで開きます。

主な史跡抜粋

将門塚 (平将門の首塚)
古くから江戸の地における霊地。姫路藩酒井家の上屋敷の敷地でした。過去、再開発の際に謎の事故が続き、首塚は取り壊しを免れて残っています。

大手門
江戸城の正門。1945年(昭和20年)に空襲 によって焼失。1963年(昭和38年)に木造復元により再建されました。

旧三の丸 三の丸尚蔵館
御所で用いた調度品、華族、賓客などから献納された美術品などを展示しています。(新館2025年完成予定)

大手三之門跡
三の丸尚蔵館の前を過ぎた正面に大手三の門跡の石垣のみが現存しています。

同心番所
百人番所
大手三之門を警護していた門。鉄砲百人組と呼ばれる同 心100人が昼夜交代で警護に当たりました。
中之門跡
中之門石垣は江戸城の中でも最大級の巨石が使用され、 目地がなく水平に積んだ布積みの美しい石垣です。
大番所
本丸へと通じる中之門警備のための詰所で、最後の番所として位の高い与力、同心が警護していました。

二の丸庭園
家光の命で1630年(寛永7)に茶会のための庭園を造成。昭和43年に復元されたものです。

天守台
江戸城の天守は1638年に将軍家光が改修し完成。しかし明暦の大火で焼失しました。天守の再建は断念、天守台だけが残りました。

松の大廊下跡
江戸城内にあった大廊下のひとつ。浅野長矩がこの廊下で吉良義央に斬りつけた事件があまりにも有名です。

富士見櫓
現在のものは明暦の大火の後(1659年) に再建されたもの。それ以後、この富士見櫓が天守の代わりになりました。

平川門
枡形門で木橋が往時のように残されるのは江戸城でもここだけです。罪人や死者を城外に出すときに使われた不浄門と言われています。
江戸城築城の碑
和気清麻呂像
和気清麻呂像は、昭和15年、紀元2600年記念事業として建立、楠公銅像とともに文武の二忠臣を象徴したものです。
震災イチョウ

和田倉門
行幸通り
和田倉門は現在、石垣のみが残されています。門前の和田倉橋は江戸城木橋の形を復元した貴重な木橋です。行幸通りは皇室行事と外国大使の信任状捧呈式の馬車列が東京駅から皇居に向かうときのみ利用されています。

桜田巽櫓
本丸の東南が名の由来です。江戸城で現存する唯一の二重の隅櫓で、震災で損壊したのちに解体して復元されました。

坂下門
江戸城西の丸造営で築かれた門。老中安藤信正が水戸浪士に襲われた坂下門外の変は有名です。

二重橋 伏見櫓
皇居前広場から二重橋越しに伏見櫓を眺めることができます。皇居を代表する象徴的な風景になっています。

楠木正成像
楠木正成像は別子銅山開坑200周年事業として住友から宮内庁に献納されもので、東京美術学校の高村光雲らに依頼。

桜田門(外桜田門)
外側の高麗門と内側の渡櫓門の二重構造になっており桝形を構成しています。水戸藩浪士らによる大老井伊直弼の暗殺事件(桜田門外の変)が有名です。

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CATEGORIES

A:江戸と呼ばれた東京

コース経路

Start丸の内線大手町駅C6a→→End有楽町線桜田門駅3

ウォーキング距離と歩数

11km 17000歩