東京街歩きコース内容

東京街歩き 119散歩コース&マップの詳細内容

A-2-04 下町を歩く-4 上野 下谷 寛永寺と門前町

三代将軍徳川家光が江戸城の鬼門を封じるためにこの地に東叡山寛永寺を建立しました。幕末の上野戦争では寛永寺に立て籠った彰義隊を新政府軍が包囲殲滅したため殆どの伽藍は焼失し、一帯は焼け野原と化してしまいました。ここを視察したボードワンが公園として残すよう政府に働きかけ、以降、現代に至るまで文化施設や教育施設が多数作られました。

上野の山が舌状台地に位置するのに対し、低地の下谷は浅草・本所・深川と並ぶ江戸の下町であり、寛永寺の門前町として栄えました。旧寛永寺の広大さを実感しつつ、江戸の佇まいを色濃く残す上野、下谷を歩きます。

主な史跡抜粋

浄名院
地蔵菩薩坐像 (江戸六地蔵代仏)
八万四千体地蔵
深川の旧永代寺が廃寺になり、六地蔵の代仏として祀られています。

寛永寺 根本中堂
現在の寛永寺は1879年(明治12年)、川越の喜多院本地堂が移築されたものです。

旧寛永寺
旧寛永寺は1625年(寛永2年)、3代将軍家光により建立されました。境内は上野の山全体に広がり壮大でしたが上野戦争により主要な伽藍を焼失し焼け野原になりました。
徳川家霊廟 (外から)
徳川将軍15人のうち6人(家綱、綱吉、吉宗、家治、家斉、家定)が眠っています。霊廟は非公開ですが側道、一般墓地から一部が見られます。
旧寛永寺 本坊表門 (黒門)
寛永年間(1624-43年)に建立。この門は上野戦争の戦火を免れ、門扉には戦闘の時の弾痕が残っています。
旧因州池田屋敷表門 (黒門)
元は丸の内にあった因州(鳥取藩)池田家江戸上屋敷の正門です。大名屋敷表門では東京大学の赤門と並び称さる程です。

上野恩賜公園
上野戦争により伽藍は焼失し一帯は焼け野原と化しました。1870年ボードワン博士が視察し、公園として残すよう日本政府に働きかけ実現しました。
ボードワン博士像
ボードワン博士は幕末から明治に養生所、医学校教頭としてオランダ医学の普及に努めました。大村益次郎の暗殺事件では治療もおこなっています。
小松宮彰仁親王像
明治維新では軍事総裁、戊辰戦争では奥羽征討総督として官軍を指揮しました。
旧寛永寺 五重塔
1631年(寛永8年)建立。上野戦争でも焼失を免れました。
上野戦争にフォーカスしたコースA-1-16上野戦争彰義隊と新政府 軍の戦いでは、関連する史跡を含めて詳細に上野戦争をたどります。このコースと内容は一部重複しています。

無縁坂
旧岩崎邸庭園(有料)
三菱財閥岩崎家の茅町本邸だった建物とその庭園を整備した公園です。洋館はジョサイア・コンドルの設計で1896年(明治29年)の竣工。

湯島天神 泉鏡花の「筆塚」
徳川家の崇敬を受け、江戸時代には多くの学者・文人が訪れ崇敬を集める一方、富籤の興行が盛んになり庶民に親しまれました。

下谷神社
下谷稲荷明神社と呼ばれた都内最古の稲荷神社です。旧町名は稲荷町駅に名を残しています。空襲にも免れ、寄席発祥の地の石碑もあります。

誓教寺 葛飾北斎の墓所
1849年(嘉永2年)北斎は真の絵師となることを切望していましたが、病により90年の生涯を終えました。

曹源寺(かっぱ寺)
明暦の大火により当地に移転した商人の合羽屋喜八が私財を投じて新堀川の開削の工事を行った時、河童が手伝ったと言われています。

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CATEGORIES

A:江戸と呼ばれた東京

コース経路

StartJR鶯谷駅北口→→End銀座線稲荷町駅3

ウォーキング距離と歩数

14km 21500歩