東京街歩きコース内容

東京街歩き 119散歩コース&マップの詳細内容

A-2-02 下町を歩く-2 両国 明暦大火後の盛り場

1657年(明暦3年)明暦の大火(振袖火事)により江戸城天守閣や大名屋敷、市街地の大半を焼失して死者は10万とも言われ、死者を供養するため回向院が建立されました。

江戸の都市改造が行われ、1659年(万治2年)に架けられた両国橋により両国は神田、日本橋方 面と直接結ばれ、江戸が隅田川をはさんで東側に拡大する足がかりとなりました。また火除地である広小路が整備され、見世物などの小屋が立ち並ぶ一大盛り場に成長しました。

更に両国は明治、大正、昭和と関東大震災や東 京大空襲により甚大な被害を被った町でもあります。こうした歴史の積み重ねを感じながら、下町の代表となる両国を歩きます。

主な史跡抜粋

北斎浮世絵 案内板
墨田区が北斎の浮世絵の案内板を両国周辺に16基設置したものです。そのうちコース上の3箇所を辿ります。

北斎浮世絵 案内板
墨田区が北斎の浮世絵の案内板を両国周辺に16基設置したものです。そのうちコース上の3箇所を辿ります。

旧安田庭園
旧丹後宮津藩・本庄松平氏の下屋敷を1900年(明治33年)安田財閥の安田善次郎が購入した庭園です。

刀剣博物館(有料)
日本国内でも数少ない日本刀専門の博物館。2018年開館。有料で拝観料も高いので、余り興味がなければ槇文彦設計の建物外観のみがお勧めです。

横網町公園
東京都復興記念館
東京都慰霊堂
旧陸軍被服廠跡
空襲碑
朝鮮人犠牲者追悼碑
元陸軍被服廠があったところを東京市が買収し公園として整備。関東大震災で横網町公園に避難した人だけで38,000人が犠牲になったといいます。1945年の東京大空襲でも一帯で多数の犠牲者が出て慰霊堂も作られました。「震災」と「戦災」のメモリアルパークとなっています。コース B-7-01下町に残る戦災遺構と慰霊で他の近隣関連史跡と合わせて訪れます。時間が不足しそうなど、調整したい場合は外観のみでスキップすることも検討できます。

徳ノ山稲荷神社
日本左衛門首洗い井戸跡之碑
江戸時代中期に諸国を荒らした盗賊団一味で獄門となりました。歌舞伎の白波五人男の日本駄右衛門のモデル。

江戸東京博物館(有料)
1993年(平成5年)に「江戸と東京の歴史を伝える博物館」として開館しました。有料ですが一見の価値ありです。2022年から大規模改修が予定されています。
徳川家康像
本所御蔵跡
この辺一帯の広大な敷地に幕府の御米蔵があり、隅田川から導かれた舟入の堀が設けられていました。

葛飾北斎生誕地
すみだ北斎美術館(有料)
江戸時代後期の1760年(宝暦10年)、北斎はこの地に生まれました。北斎美術館は北斎が本所で生涯を送ったことから、2016年にゆかりの地に開館しました。建物含め一見の価値ありです。

葛飾北斎住居跡
北斎は生涯で90回以上も転居を繰り返しましたが正確に判明しているのは貴重だそうです。

山岡鉄舟旧居跡 生誕の地
幕臣として清河八郎とともに浪士組を結成。江戸無血開城では単身で西郷と面会して下交渉をしました。勝海舟、高橋泥舟と共に「幕末の三舟」と称されます。

榎稲荷神社の空襲戦災エノキ
東京大空襲で焼けたエノキが健気にも現存しています。

長谷川平蔵・遠山金四郎屋敷跡
同じ家に住んでいた? 長谷川平蔵は1764年(明和元年)、屋敷替えにより築地から移転して来ました。遠山金四郎が住んだのは1846年(弘化3年) からです。平蔵の孫の代での屋敷替えだったんですね。

芥川龍之介文学碑
本所は龍之介の幼児時から少青年期までの大事な時期を育んだ場所で「大道寺伸輔の半生」「本所両国」などの作品にその一端を見ることが出来ます。

吉良邸跡
江東義塾跡
私立学校江東義塾があった場所で、学生時代の夏目漱石が一年間教師をしていたというゆかりの地です。

回向院
力塚
ねずみ小僧の墓
大名屋敷のみを狙って盗みに入り後世に義賊として伝説化された。市中引き回しの上での獄門は小塚原刑場にて行われました。

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CATEGORIES

A:江戸と呼ばれた東京

コース経路

Start JR両国駅西口→→End JR両国駅西口

ウォーキング距離と歩数

13km 20000歩