東京街歩きコース内容

東京街歩き 119散歩コース&マップの詳細内容

A-2-01 下町を歩く-1 浅草 江戸の繁華街

浅草は古くから浅草寺の門前町として栄えていました。江戸時代に浅草が発展したもう一つの要因は浅草御蔵(蔵前)に米蔵が設置されたためともいわれています。

更に1657年の明暦の大火の後には新吉原遊廓が移転、1841年人形町の中村座の失火をきっかけとして猿若町に江戸三座ができ、江戸一の繁華街となりました。明治、大正にかけても12階建ての凌雲閣が建てられ、新たに演芸場や劇場等が建ち、渋谷や新宿にその座を譲るまで東京を代表する繁華街でした。現在も江戸の下町情緒を感じさせる観光の街として賑わっている浅草。江戸の佇まいを色濃く残す浅草を歩きます。

主な史跡抜粋

浅草観音戒殺碑
1692年(元禄5年)生類憐みの令の将軍綱吉の時代に、浅草寺近辺の隅田川が殺生禁断の地となったのを記念して駒形堂に建てられました。

浅草寺 駒形堂
浅草寺の本尊が隅田川から見つかった場所に建立されました。すぐ前に船着き場があり、人びとはまず駒形堂のご本尊を拝んでから浅草寺に参拝しました。

浅草寺
徳川家康により幕府の祈願所と定められ、手厚い庇護を受けました。庶民信仰の場として境内に水茶屋や見世物小屋が軒を連ね、江戸の名所となりました。
雷門
仲見世商店街
五重塔
二天門
影向堂 淡島堂など
東京大空襲により本堂をはじめほとんど焼失しましたが、伝法院・二天門・浅草神社は焼失を免れました。現存する二天門、浅草神社は1649年(慶安2年)頃の建築と考えられます。

花やしき浅草門
浅草花劇場
1853年(嘉永6年)の開園で、日本最初の遊園地とされています。江戸期は茶人、俳人らの集会の場や大奥の女中らの憩いの場として利用され、ブランコが唯一の遊具でした。明治大正には庶民にも親しまれるようトラ、クマなど動物の展示をしたり、五階建てのランドマーク奥山閣が建設されました。

姥ヶ池碑
姥ケ池は隅田川に通じた大池で、明治24年に埋め立てられました。姥ケ池の伝説は、浅草寺本堂にある大きな絵馬の「一ツ家」にも描かれています。

江戸猿若町中村座跡
江戸猿若町市村座跡
江戸猿若町守田座跡
猿若町には江戸町奉行所によって歌舞伎興行を許された芝居小屋江戸三座があり、劇場街として賑わっていました。

待乳山聖天 本龍院
浅草寺の子院のひとつであり、かつては周囲が見渡せる山であり、江戸時代には文人墨客がこの地を訪れていました。

今戸神社 沖田総司終焉の地の碑
今戸神社は1063年(康平6年)源頼義・義家親子が創建。近年になって縁結びにゆかりがあるとして、招き猫発祥の地(真偽不明)をアピールしています。また絵馬は真円形の絵馬です。沖田総司は江戸に戻った時点で肺の病はかなり進んでおり、総司を含む患者たちは今戸神社に収容されたとあります。(諸説あり)

水戸徳川家下屋敷跡
徳川御三家の一つである水戸家の下屋 敷・小梅別邸が置かれたところです。

牛嶋神社 撫牛(なでうし)
「撫牛」の像があり、自分の体の悪い所と同じ部分を撫でると病気が治ると言い伝えられています。貞観年間(859年-879年)に創建。葛飾北斎の大絵馬「須佐 之男命厄神退治之図」がありましたが焼失し白黒コピー版のみ。すみだ北斎美術館にて復元展示されています。本殿前の鳥居は三ツ鳥居と呼ばれる珍しい形態です。

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CATEGORIES

A:江戸と呼ばれた東京

コース経路

Start銀座線浅草駅A5→→End銀座線浅草駅4

ウォーキング距離と歩数

9km 13800歩