東京街歩きコース内容

東京街歩き 119散歩コース&マップの詳細内容

A-1-15 勝海舟と西郷隆盛 江戸城無血開城

1868年(慶応4年)、徳川慶喜は鳥羽・伏見の戦いに敗れ、江戸に戻ると上野の寛永寺で謹慎していました。新政府軍は朝廷の軍として江戸に追り、慶喜は幕臣の勝海舟に交渉を任せます。

江戸を戦場にしたくない勝は大総督府参謀に就任していた薩摩藩士の西郷隆盛と交渉。山岡鉄舟の駿府での下交渉を経て、薩摩藩邸で勝海舟と西郷隆盛の会談が持たれ、「江戸城を明け渡せば総攻撃はしない」という条件で同意し、江戸が焦土になる危機はギリギリのところで回避されたのです。

明治維新という歴史の大転換点で、江戸城無血開城に導いた二人の足跡を探ります。

主な史跡抜粋

西郷隆盛銅像
大日本帝国憲法発布に伴う大赦によって西郷の「逆徒」の汚名が解かれたのを機に計画、1898年(明治31年)除幕されました。西郷像は高村光雲の作。

勝海舟像
幕臣でありながら、その思想や知識は深く、坂本龍馬や西郷隆盛といった維新の英雄にも大きな影響を与えました。

勝海舟翁之像
勝海舟の父小吉が海舟の開運を水垢離をとって祈願したのが能勢妙見山東京別院場所です。フロックコートを着た晩年の勝海舟の胸像が境内にあります。

勝海舟生誕の地 記念碑
1823年(文政6年)、勝海舟は両国のこの地で生まれました。西洋の兵学、砲術、航海、測量法などを学び、1860年咸臨丸艦長として渡米しました。

西郷隆盛屋敷跡
姫路藩酒井家の下屋敷でしたが、新政府の要請で1871年(明治4年)に西郷が上京してからは屋敷としていました。

江戸城無血開城会談の地
西郷と勝がここから江戸の街を眺め、戦火で包むことは避けようと話し合ったといわれています。江戸では一番見晴ら のきくところでした。愛宕神社の見どころは、出世の石段 桜田烈士遺跡碑 殉皇十二烈士女之碑 将軍梅 宮城事件孤忠留魂之碑などがあります。

勝海舟邸宅跡 勝海舟・坂本龍馬の師弟像
海舟が亡くなるまで住んだ屋敷跡。2人が知り合った勝海舟邸跡に2016年に作られました。

四合稲荷神社 勝海舟直筆の扁額
赤坂に住んでいた勝海舟は赤坂氷川神社とも深い縁にあって四合稲荷神社は勝海舟の命名です。

勝海舟邸跡
1859年(安政6年)から1868年(明治元年) という幕末の激動の時期に、この赤坂本氷川坂下の地に自宅を構えていました。

薩摩藩上屋敷跡
薩摩藩の江戸屋敷はここ三田の上屋敷のほか、中屋敷(幸橋門内)、下屋敷(高輪)、 西郷・勝の会談が行われた蔵屋敷(田町)などがありました。

薩摩藩屋敷跡(西郷・勝海舟会見之地)
高輪の薩摩藩下屋敷で第1回目の会談が行なわれ、続いてこの薩摩蔵屋敷で会談がもたれ合意したといいます。

田町駅(西郷南洲・勝海舟会見の図)
JR山手線田町駅に西郷隆盛と勝海舟会見のレリーフがあります。江戸城無血開城の話し合いを記念して作られたました。

勝海舟記念館(旧清明文庫 有料)
清明文庫は勝海舟の没後に清明文庫を継承したもので、ネオゴシックスタイルが特徴で建物自体も貴重です。現在、勝海舟記念館となっています。

洗足池公園
勝海舟夫妻の墓
西郷隆盛留魂祠
勝海舟は別邸洗足軒を設けるなど、風光明媚な洗足池を愛し、遺言により1899年(明治32年)当地に葬られました。横には勝海舟の遺言により西郷隆盛留魂祠が葛飾四ツ木より移されています。

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CATEGORIES

A:江戸と呼ばれた東京

コース経路

StartJR上野駅不忍口→→銀座線浅草駅4→→JR両国駅東口→→半蔵門線水天宮前駅6→→日比谷線人形町駅A6→→日 比谷線虎ノ門ヒルズ駅A1→→南北線六本 木一丁目駅1→→三田線三田駅A7→→三田線三田駅A7→→東急池上線洗足池駅→→End東急池上線洗足池駅

ウォーキング距離と歩数

14km 21500歩