東京街歩きコース内容

東京街歩き 119散歩コース&マップの詳細内容

A-1-14 新撰組の痕跡 創設と終焉

1862年(文久2年)幕府は政情不安から清河八郎の建議を入れ、浪士組を編制して尊攘派志士の弾圧活動に当たらせました。浪士取締役には山岡鉄舟らが就任し、江戸で求人したあと京都に移動しました。直後、浪士組は分裂し、京に残った芹沢鴨、近藤勇らが京都守護職の庇護のもと新撰組を発足させ、最盛時には局長近藤勇、副長土方歳三の元に200名を超えました。

1867年(慶応3年)戊辰戦争では鳥羽・伏見の戦に敗れた後、甲州で新政府軍と戦って敗走し、局長の近藤勇は板橋宿で捕らえられ斬首刑に処せられました。

浪士組の発足に始まり、近藤勇の斬首で終わった江戸での新撰組の痕跡を探します。

全生庵 山岡鉄舟の墓はブログ「谷中霊園に眠る有名人-1 (東京墓マイラー )」の実際の街歩きレポートに収録されていますので、是非参照してください。リンクをクリックすると別ウインドーで開きます。

主な史跡抜粋

山岡鉄舟旧居跡 生誕の地
幕臣として清河八郎とともに浪士組を結成したが幕府により浪士組は呼び戻され江戸に戻りました。江戸無血開城の立役者とも呼ばれています。

今戸神社(招き猫) 沖田総司終焉の地の碑
江戸に戻った時点で肺の病はかなり進んでおり、総司を含む患者たちは今戸神社に収容されたとあります。(諸説あり)

全生庵 山岡鉄舟の墓
1880年(明治13年)、山岡鉄舟が明治維新に殉じた人々の菩提を弔うために創建しました。

伝通院
処静院跡
処静院跡の石柱
伝通院の子院・処静院で浪士組が結成されました。新選組創設メンバーの多くが処静院に集まっています。
清河八郎の墓
1863年(文久3年)浪士組に不安を抱いた幕府は浪士組を江戸へ呼び戻し、清河八郎は刺客により暗殺されました。

試衛館跡
近藤勇の養父である天然理心流3代目近藤周助が創設しました。門弟として土方歳三、沖田総司など、のちの新選組の中核をなすメンバーが顔を連ねていました。

護国寺 新撰組 谷口四郎兵衛の墓所
谷口四郎兵衛は幕府軍側の桑名藩士で、仙台で新選組に入り、箱館戦争まで転戦して負傷しました。護国寺の見どころは、音羽富士塚 大隈重信の墓所 三条実美の墓所 山県有朋墓所 ジョサイア•コンドルの墓所 音羽陸軍埋葬地英霊の塔などがあります。

板橋宿本陣跡 (近藤勇捕縛場所)
平尾脇本陣跡 (近藤勇幽閉地)
近藤勇は板橋平尾宿にあった一里塚付近で斬首の刑を受け、首は京都三条河原にさらされました。

近藤勇の墓所 永倉新八墓所
永倉新八が発起人となり明治9年に建てられたものです。函館で戦死した土方歳三をはじめ新撰組隊士と共に墓が建てられています。

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CATEGORIES

A:江戸と呼ばれた東京

コース経路

StartJR錦糸町駅北口→→JR錦糸町駅北口→→浅草線浅草駅4→→浅草線浅草駅4→→JR日暮里駅南改札→→千代田線千駄木駅1→→丸の内線後楽園駅1→→大江戸線春日駅A5→→大江戸線牛込柳町南東口→→大江戸線牛込柳町南東口→→有楽町線護国寺駅3→→有楽町線護国寺駅3→→三田線板橋区役所前駅→→EndJR板橋駅東口

ウォーキング距離と歩数

16km 24600歩