東京街歩きコース内容

東京街歩き 119散歩コース&マップの詳細内容

A-1-09 刑場に露と消えた罪人たち

江戸時代に街道沿いに設置された小塚原刑場、鈴ヶ森刑場は一度は耳にしたことがあるはずです。明治初年に廃止されるまで、ここで磔、火焙り、獄門で処刑された人は約200年間で合わせて40万人とも言われています。

処刑された人の中に幕府の転覆を図った丸橋忠弥や安政の大獄で処刑された吉田松陰、後に井原西鶴の好色五人女で語り継がれている八百屋お七などがいます。

このコースは「A-1-07江戸のお裁き」「A-1-08江戸の治安を担った人」と合わせ、現代の東京に江戸捕物の世界が確かにあったということが実感できます。

主な史跡抜粋

密厳院 お七地蔵
お七は本郷の八百屋の娘で、恋人に会いたい一心で放火事件を起こし鈴ヶ森で火刑に処されました。

鈴ヶ森刑場跡
1651年(慶安4)に設置された。見せしめのため通行人の多い東海道沿いに設置されたと言われています。

旧 泪橋(浜川橋)
罪人と身内の者との今生の別れの場であり、ここで泪を流したことから付けられました。

妙蓮寺 丸橋忠弥の首塚
丸橋忠弥は鈴ケ森で磔により処刑された最初の罪人でした。

大圓寺 お七の井戸
(雅叙園入口)恋人の吉増はお七の死刑後、僧侶となり念仏行に出かける前にこの井戸で水垢離をとったとされています。

金乗院 丸橋忠弥の墓所
1651年(慶安4年)由比正雪の乱の首謀者のひとり、丸橋忠弥が鈴ヶ森で磔刑にされました。

圓乘寺 八百屋お七の墓所
井原西鶴の好色五人女で有名なお七の墓。1683年(天和3年)に鈴ヶ森で処刑されました。

両国 回向院 ねずみ小僧の墓
鼠小僧次郎吉は義賊と呼ばれたが、捕らえられ、市中引き回しの上、1832年(天保3年)小塚原で獄門となりました。回向院は1657年(明暦3年)創建。明暦の大火の焼死者10万8千人を葬った万人塚が始まり。江戸市中の無縁仏を埋葬するようになりました。

小塚原 回向院
小塚原刑場は1651年(慶安4年)に設置されました。回向院は1667年(寛文7年)に両国回向院が死者の埋葬と供養を行うため刑場隣接地に常行堂を創建したのが始まりです。
吉田松陰 橋本左内の墓
観臓記念碑
1859年(安政6年)、安政の大獄により吉田松陰、橋本左内、 頼三樹三郎などは伝馬町牢屋敷で斬首となりました。その後、遺体は引き取られ回向院に埋葬されました。前野良沢、杉田玄白らが刑死者の腑分に立合い、解体新書を翻訳出版。

延命寺(刑場跡) 首切り地蔵
1741年(寛保元年)小塚原の刑場の片隅に刑死者を弔うために建立されました。

旧 泪橋(交差点)
罪人と身内の者との今生の別れの場でした。現在は橋の痕跡はなく、交差点の名前のみが残っています。

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CATEGORIES

A:江戸と呼ばれた東京

コース経路

Start京急線大森海岸駅→→京急線立会川駅1→→京急線新馬場駅南口→→京急線新馬場駅南口→→JR目黒駅中央口→→JR目黒駅中央口→→副都心線雑司ヶ谷駅3→→都電学習院下駅→→三田線白山駅A1→→三田線白山駅A1→→JR両国駅西口→→JR両国駅西口→→日比谷線南千住駅南口 →→End日比谷線南千住駅南口

ウォーキング距離と歩数

9km 13800歩