東京街歩きコース内容

東京街歩き 119散歩コース&マップの詳細内容

A-1-08 江戸の治安を担った人たち

TVなど江戸の捕物には欠かせない有名人、大岡越前、長谷川平蔵、遠山金四郎はフィクションではなく、実際に江戸の治安を担って活躍した人たちでした。

また、御様御用という聞き慣れない役職もありました。刀剣の試し斬りを行う役職で、罪人の死刑執行人を兼ねていました。山田家の当主は代々、山田浅右衛門を名乗り「首切り浅右衛 門」と呼ばれていたそうです。

「A-1-07江戸のお裁き」ルートと合わせ、江戸の捕物に想いを馳せながら、ゆかりの地を巡ります。

主な史跡抜粋

大岡越前守忠相 屋敷跡
1717年(享保2年)に江戸奉行に起用され、名奉行として公正で人情味ある裁きは広く伝わっていいます。大名にまで昇進しました。

豊川稲荷東京別院 大岡廟
大岡越前守忠相が屋敷稲荷として大岡邸の敷地で祀ったのが由来です。一般庶民の参拝も許していました。大岡廟は菩提寺の浄見寺から勧請された大岡越前守の位牌を安置しています。

戒行寺 長谷川平蔵供養碑
鬼平犯科帳の主人公、火付盗賊改の鬼平こと長谷川平蔵の供養碑です。1795年(寛政7年)退き、直後に50歳で亡くなりました。

勝興寺 首切り役人 山田浅右衛門の墓所
6代目は吉田松陰、橋本左内ら安政の大獄の犠牲者の処刑を行いました。

本妙寺 遠山景元の墓所
1840年(天保11年)北町奉行に任ぜられた。隠居後、1855年(安政2年)61歳で病死しました。本妙寺は明暦の大火(1657年)の火元としても知られています。

長谷川平蔵の旧邸碑
長谷川平蔵・遠山金四郎屋敷跡
長谷川平蔵 遠山金四郎旧居跡の説明板
同じ家に住んでいた? 長谷川平蔵は1764年(明和元年)、屋敷替えにより築地から移転して来ました。遠山金四郎が住んだのは1846年(弘化3年) からです。平蔵の孫の代での屋敷替えだったんですね。

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CATEGORIES

A:江戸と呼ばれた東京

コース経路

Start日比谷線日比谷駅A8→→JR四谷駅四谷口→→JR巣鴨駅北口→→JR巣鴨駅北口→→JR錦糸町駅南口→→End新宿線菊川駅A3

ウォーキング距離と歩数

13km 20000歩