東京街歩きコース内容

東京街歩き 119散歩コース&マップの詳細内容

A-1-01 忠臣蔵 吉良邸から泉岳寺へ

街歩きの定番中の定番です。
元禄15年12月14日(1703年1月30日)の赤穂浪 士による吉良邸討ち入りは日本人なら誰でも知っていますので、くどい説明は必要ないくらいです。その吉良邸から泉岳寺までの浪士たちの足取りを辿ります。

討ち入り後、赤穂浪士たちは細川家、松平家、毛利家、水野家に預けられ、後に大目付の仙石伯嘗守久尚の命により預けられた大名屋敷で切腹しました。浅野家の菩提寺だった高輪の泉岳寺に浅野長矩とともに葬られています。泉岳寺へ向かう途中、赤穂浪士たちの終焉の地にも立ち寄り史実を実感します。

泉岳寺はブログ「泉岳寺 赤穂義士の墓」の実際の街歩きレポートに収録されていますので、是非参照してください。リンクをクリックすると別ウインドーで開きます。

主な史跡抜粋

堀部弥兵衛宅跡(潜伏地)
前原伊助宅跡(前線基地)
吉良邸
回向院正門跡
赤穂浪士が本懐をとげたあとの集合場所だったのですが、血まみれの浪士たちを見て僧が正門を閉じてしまったといいます。

赤穂義士休息の地碑
引き上げの際は吉良、上杉側の追っ手を警戒して両国橋を渡らず万年橋を通り永代橋で市中に入りました。

築地本願寺 間新六之塔
泉岳寺に引き揚げる途中自身の供養を願い、槍に書状と金子を結びつけて投げ入れたといいます。

大目付・仙石伯嘗守久尚邸跡
大石内蔵助は吉田忠左衛門と富森助右萄門とを大目付・仙石伯嘗守久尚邸に派遣し、討ち入りの顛末を報告させました。義士洗足の井戸モニュメントがあります。

毛利甲斐守邸跡
岡島八十右衛門常樹ら10人切腹。長門長府藩毛利家の上屋敷で、現六本木ヒルズ毛利庭園となっています。

水野監物邸跡
間十郎ら9人が切腹。三河岡崎藩水野家敷跡でした。

大石良雄外十六人忠烈の跡
内蔵助良雄ら17人が熊本藩細川家下屋敷にお預けとなり、当地で切腹したといいます。

泉岳寺
大石内蔵助良雄銅像
大石内蔵助良雄墓
大石主税之墓
赤穂義士墓地
浅野長矩公之墓
長矩公夫人之墓
赤穂藩浅野家の菩提寺。1612年(慶長17 年)に徳川家康が創建。寛永の大火で焼失したが再建されました。

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A:江戸と呼ばれた東京

コース経路

Start新宿線菊川駅A1→→日比谷線茅場町駅4b→→日比谷線築地駅1→→日比谷線築地駅1→→日比谷線虎ノ門ヒルズ駅A2→→日比谷線虎ノ門ヒルズ駅A2→→日比谷線六本木駅1c→→日比谷線六本木駅1c→→浅草線三田駅A7→→浅草線三田駅A7→→End浅草線泉岳寺駅

ウォーキング距離と歩数

13km 20000歩